誰ひとりとして悪を欲する人はいない
アァォァォァーーーーーー!!!
実家が幸せすぎる〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!!
ウギャァァァァーーーーーーーー!!!
🎍明けましておめでとうございます🎍
もう核家族には戻れないっ!
そのくらい実家の良さにびっちゃびちゃに浸っております。
そしてこれほどまでに、年末年始のご馳走を前に普通に食べれたことは10年ぶりくらい。
普通に食べれる事は最高に幸せだとまた改めて思った。
お腹減るまで待ってお腹がいっぱいになったら終わりにする
少したべ過ぎてもそこで止まれる
ここで一句、、、、
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
摂食障害
完治でハッピー
胃と環境
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
ゴホンッ(-。-
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今またアドラー熱が復活していて、前記事にも書いたように、嫌われる勇気を読み返しています。
そこでまた大きく納得したことがあったので書きたいと思います。
それは、私の摂食障害は私にとって【善】であった
ということ。
治したい、抜け出したい、もう過食嘔吐したくない
と9年間ずーっと強く強く思っていた。当たり前。めっちゃ辛かったんだもん。
黄金の青春期を奪われ、ほんと不幸だって思っていた。
でもね、その不幸を選んだのはまぎれもない私だというのよ、 アドラー師匠は。キッツイよねぇ。信じたくないよねぇ。
何で選んだかっていうと、それが私にとって【善】だったから。
私は過去の感情を棚卸すると、
・4人兄弟で母を独り占めできず悲しかった
・中学でのいじめ
・高校で自分を出せず苦しかった
こんな所が今でも強く残っている感情が動いた出来事。
よーく考えたんだけど、どれがっていうのは分からない。
ただ、確かに目的を達成していたなっていうのはやはり母親。
私は、母に心配をさせ、独り占めしたかった。
その目的を達成するために、私は病気になる必要があった。
だから私にとって、摂食障害になったのは【善】の行為だったのだ。
そんな選択したおぼえはない。
けれど、意識の下の下〜の方で決めたのだろう。
水面下の私は賢い。
だって辛いと言えばいつも心配してくれた。
駆けつけてくれた。
母が私を1番に見てくれた。
完全に目的を達成している。
心配かけてごめん、と言いながら、嬉しかったんだと思う。
もし治ってしまったら、もう大丈夫だと思われ離れて言ってしまう。
治したい一方でそういう想いもあったのはずっと分かってた。
なんて健気なんだろう。
自分を苦しめてまで母の注目を浴びることを決意しただなんて。
だからね、治ったのも納得できる。
自分の声を聞いて自分を大切するって自分を愛すこと。
自分を精一杯大事にできたら母の注目を浴びなくても、もう満ちてるから大丈夫なんだよね。
何かが間違ってたんじゃない
自分が悪かったんじゃない
運命でもない
カルマでもない
決して母が悪かったわけでもない
ただただ、その時、病気になることが、私にとっての善だったんだ。
ただ、それだけ。
ただそれだけなんだよ。
それが自分のための行為だなんて、なんか私はとても自分を愛しく感じた。
いつでも自分のために、みんな一生懸命なんだよね。
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